多極化する高級
世の中には高額な値段を付けている製品やサービスがたくさんありますが、それが高額な理由としては、素材が上質あるいは稀少なものであること、設計や製造、あるいはサービスの提供に多大な手間が掛かっていること、または、製品やサービスそのものを稀少なものとして価値を高める狙いのような、マーケティング戦略的な価格設定がされていることもあります。自動車などでは、車体や基本的な構成はほぼ変わらないものの、上級モデルと標準モデルでは数百万円以上の差が付く場合すらあります。
しかし、そのような製品やサービスが受け入れられ、売れていくためには、そのマーケットにおける「高級品」の考え方が生活者に受け入れられるものでなければなりません。逆に言えば、そのマーケットにおいて、生活者が「何が高級なのか」を定義しており、それに沿って価格戦略が決まっていくとも言えるでしょう。
この考え方に立つと、例えば、米国で最近売上を伸ばしているテスラの「モデル3」のような、極めてシンプルな内装も、逆にテスラを選ぶ層の価値観、すなわち地球環境に過度な負担を掛けない”Low-Footprint”なライフスタイルを反映していると表現できます。
彼らは買おうと思えば、もっと華美で豪奢な製品選択も出来るだけの所得を有していると思われますが、そういう懐事情にもかかわらず、敢えてシンプルな製品を選んでいる、その「(環境に配慮するだけの)心の余裕」のようなものが、もしかしたら、既に経済発展が成熟を迎え、ほとんどの財やサービスは簡単に手に入る、先進国に住む彼らにとっての「高級」なのかも知れません。
一方で中国やアフリカ、中東など、まだ経済発展が活発に進んでいる国においては、比較的豪奢な、わかりやすい「高級」が一般的であり、それ故に欧米の高級品を扱うメーカー等が活発に進出している実態も観察されます。このように、「高級さ」が国の発展段階によって、異なってくる状況が今後顕在化してくるでしょう。
さらに未来を考えてみると、将来的にアジアやアフリカにおいて中間層がさらに分厚くなってくると、世界市場における「高級品」を購買する層が分布するエリアの重心がそれらの地域に移動してくることが考えられます。
実際に2030年頃には、中~高程度の所得を有する中国のミレニアル層が米国のそれを上回ると予測されており、そうなると、これまで西欧や米国における価値観で形成された「高級感」のトレンドも、アジアやアフリカ的な文化を背景とするものに変わっていくのかも知れません。