"ありたき未来の妄想”が異なる未来を引き寄せる
現在、わたしたちが思い描く理想の未来社会は、一体どのような姿でしょうか?
家電製品やスマートウォッチなど、生活のあらゆるものがインターネットで繋がり、今よりも格段に情報がやりとりされ、デジタルならではの恩恵を被ることが可能となった<デジタル革新社会>
健康寿命の延伸により、多くの人が80歳まで元気に生き生きと働き続け、安心して老後を迎えることができる<健康長寿社会>
あるいは、人々が自ら運転することなく自動運転で望む場所にたどり着け、ドローン自動輸送で物流に関わる人手が大幅に減少した<自動輸送社会>
思い描く理想的未来社会のありようは、人により多様でしょう。もしかすると10年後、20年後にこうした社会の一部は実現できているかもしれません。
歴史を振り返ってみると、人々は理想とする未来のありさまをイメージすることで、実際の未来社会を一歩ずつ手元に引き寄せてきました。未来を構想し、それを実現し、手元に引き寄せるという営みが本格的に始まったのは、19世紀半ばのことです。当時は、第2次産業革命がまさに進行中で、さまざまな科学技術のイノベーションが進んでいました。
そうした時期に、未来を具体的な形として構想した最初の作家がジュール・ヴェルヌです。彼は、潜水艦(海底二万里)、気球(八十日間世界一周)、ロケット(月世界旅行)、海上都市(動く人工島)、新型爆弾(悪魔の発明)など、まだ当時、実用化されていないものも含め最先端研究・技術をベースに、数々の空想冒険小説を生み出し人気を得ました。
ヴェルヌが空想小説として描いた新技術は、その後次々と実現していきました。いわゆる発明技術により、我々の生活は向上するという技術進歩史観が、このころから生まれてきたのです。
しかしその後、第2次世界大戦の原子爆弾の使用、さまざまな環境破壊、温暖化の進展などを経て、技術進歩史観はもろくも崩れ去りました。盲目的な科学技術に対する信仰は、人類にとって副作用的な効果も生ずるということを、私たちは公害問題などを通じて理解したのでした。
しかし、第4次産業革命が進行する現在、新たなテクノロジー信仰が、再び生まれつつあります。ChatGPTに象徴されるAI技術、ロボティックス、デジタルテクノロジーが、新しい未来を切り開くという技術進歩史観がまた跋扈し始めています。
過去の歴史を範とするならば、この第4次産業革命にも確実に副作用は存在しているはずです。テクノロジー・ドリブンな楽観未来予測は慎むべきで、一定の環境倫理、環境哲学、人権意識を備えた上で、未来に対して向き合うことが重要であると言えるでしょう。
本来、私たちが未来を考えるということは、(技術発展によって)「未来はこうなる」と単純に考えるのではなく、「未来はこうありたい」という、オルタナティブなもうひとつの未来ビジョン策定を前提に、その実現に向けて「何が必要か」「どのような実行が必要か」というアクションプランを考えるということなのです。
“ありたき未来の姿を妄想する“ことが異なる未来を引き寄せるのです。