20年後の国語の教科書に載る“未来ことわざ”
あなたには、好きなことわざはありますか?
「日本ことわざ文化学会」によれば、日本には5万から6万のことわざがあると言われています。ことわざは民衆の知恵、言葉の民芸とも言われ、時代に合わせて様々に形を変えながら、今も私たちの生活における大切な考え方を提示してくれるもの、とも言えるのではないでしょうか。
時代とともに変化することわざは、未来の世の中の変化に合わせてどのように変わっていくのでしょうか。今日は、「未来にありそうなことわざ」の視点から、未来の暮らしを妄想してみたいと思います。
「見猿・聞か猿・言わ猿・メタ猿」
「見猿・聞か猿・言わ猿」とは、それぞれ両目・両耳・口を両手でふさいだ三匹の猿に例えて、自分に都合の悪いものなどは、見ない、聞かない、言わないという意味ですが、メタバース空間も生活の一部となった未来においては、そこに「メタ猿」が加わるのではないでしょうか。
メタバース空間といえば様々なことを自由に設計できる「誰にとっても素敵な世界」という印象がありますが、利用する人、参加する人が増えていくにしたがって、自分にとって心地よい空間とそうではない空間がはっきりと分かれてくると考えられます。「メタ猿」とは、そういった自分にとって都合が悪かったり不快な気持ちになったりするメタバース空間には近づかない・参加しないという意味で、三猿に加わり四猿となるのです。
「馬の耳にスマート翻訳」
せっかくのありがたい念仏も、馬に聞かせたところで意味を理解できないことから、いくら言っても何の効もないという意味の「馬の耳に念仏」。未来では、動物の言葉と人の言葉の翻訳ができるようになって、念仏のありがたさを馬に伝えることができるようになっているかもしれません。ヒュー・ロフティングの書いた「ドリトル先生」のように、オウムに教えてもらわなくたって、動物と会話ができる。そんな未来がきたら、「猫に小判」「豚に真珠」も、違うことわざになっているかもしれませんね。
「犬もスマートグラスで棒に当たらず」
「犬も歩けば棒に当たる」は、何かをしようとすると災難に遭う、あるいは、出歩けば思わぬ幸運に出会う、という二つの意味で使われることわざですが、果たして、未来の犬も棒に当たるのでしょうか。スマートグラスなどのウェアラブルデバイスが普及すると事故は減ると言われていますが、未来では犬用のスマートグラスも開発されているかもしれません。それをかけていれば、犬も棒にあたる前に危険に気が付いて、災難を避けることができそうですね。思わぬ幸運のほうは、できれば手放したくはありませんが。
いかがでしょうか。
この記事を読んでいただいて、「こんなことありそう」という「未来ことわざ」を思いついたら、是非教えてください。