第二の情報社会:静脈系インターネットが必要
社会の情報化が留まることを知りません。世界中の情報がスマホから入手でき、欲しいもの、やりたいことへのアクセスが今ほど容易な時代は無く、今後も更なる発展が見込まれます。 情報の歴史を辿ってみます。昔マスメディアや印刷がなかった頃、人が情報メディアでした。情報は口伝手に伝えられ手紙も肉筆、音や踊り等のメディアもぜんぶ「人メディア」でした。
マスメディアの時代。一律に大量の情報が届けられ「人メディア」の出番は減りました。 スーパーマーケットなどのモノを届ける手段も、売れている・買うべき商品がわかり届ける「マスメディア」でしょう。この時代、広域、国中の情報が伝達されるようになりました。
そして今パーソナルメディアの時代に向かっています。一人一人が違った情報を手に入れ買い物もパーソナル化。今や世界中の情報が瞬時に入手でき翻訳技術で世界の人とリアルタイムで繋がることも射程に入ってます。情報量も質も拡大し、情報社会化が留まる所をしりません。
良い事ばかり?に見える一方で、都市地域などでは周囲の人の事情は見えなくなりました。「人メディア」の時代は人を介さないと何もできなかった為、個人の情報(事情)はだだ洩れです。良いことも困っていることもバレバレの、プライバシーのない鬱陶しい世界。一方でおせっかいな人が手を差し伸べ、見えない所で気を遣う「気遣いの情報社会」がありました。
今の情報社会は、少しばかり「気遣いの情報社会」を殺菌し過ぎてしまったと思いませんか。 個人が可能性を探求し自分の意思を行使する「動脈系」の情報社会は豊かになったのですが、「隣は何をする人ぞ」と思いを馳せ察する「静脈系」の情報社会が失われつつある現在です。
ところが、今ビジネスの最前線で進んでいるのはこの「静脈系」の情報化です。あなたの状況や望みや気持ちを「察して」最適なものを提供するビジネスですが、今後はこれが社会課題にも実装されていくでしょう。世の人の声なき声を拾い、サポートの手を差し伸べる、失われた「静脈系のインターネット」の回復が必要で、情報産業の方々が進めてくださる事でしょう。
でも、「静脈系のインターネット」は機械にお任せでいいのでしょうか?
「人メディア」の時代には、察する・おせっかいで・時々迷惑な人たちがネットワーク状に繋がった「静脈系のヒトインターネット」を形成していたと思われます。
地域の、顔を知っているだけの人でも気に掛け配慮が届く社会は、機械と人間の二人三脚で担うのはどうでしょうか。めんどくさいけど暖かい社会、、、。みなさんはどう思われますか?