“親密圏”が意志決定の基盤となる

現代は、さまざまな主体による主張が横行する社会で、何が正義で、何が正しい選択か、極めて判断が困難な不透明な時代であると言えるでしょう。かつては、政府や有識者、マスメディアが議論を先導し、その後、徐々に世論が形成されていくパターンが主流でしたが、現在はそうした流れとは別にSNSやインフルエンサーが、世論形成の端緒となるケースも少なからず生じてきています。

世論が社会的な価値判断基準の一翼を担っているとすれば、社会的な意思決定プロセスは、民主主義のベースとも言えるでしょう。

現在の民主主義の根幹は、市民としての個人が自由選挙で選定された代表を通じ、各種の政治的意思決定がなされることにあります。そして、市民の意志が同じベクトルを指し示すことで、人々が最終的な便益を得て、“公共の福祉”が実現されることが、本来的な意味での理想的な公共と言えるかもしれません。

ルソーは、1762年に出版された市民を主権に国家統治に関する理論を体系化した『市民契約論』において、こうした個人意志の総体を「一般意志」と名づけました。「一般意志」に対峙するのは、「特殊意志」です。「特殊意志」とは、個人の意志が個人の意志として止まっている状態を指します。「特殊意志」を、公共の福祉となる「一般意志」に昇華させていくためには何が必要となるでしょうか。

ルソーは、個人や組織が「特殊意志」を放棄することが重要だと述べました。また最近では、東浩紀がインターネットによる集合知が「特殊意志」を集合知として、「一般意志」に変換する手立てを提供すると述べています。しかし、果たしてそうでしょうか。(東浩紀『一般意志2.0』)

例えば、個人の意志がAIによって最終的に、「一般意志」として表出されても、「ああ、そうだ」と納得できる人は少ないのではないでしょうか。喩えとしては、少し外れているかもしれませんが、最近流行りのAIの描くアートが共感・感情移入しづらいものが多いのは、AIによる「一般意志」化された芸術ゆえなのかもしれません。

個人の意見が「一般意志」に変換されていくためには、その結果に対する納得や共感が必要となります。人間は、「論理の人」であると同時に「感情の動物」でもあります。最近、「ファンベース」や「推し」といった特定の人やアニメ、スポーツなどに対し、共感やシンパシーを表出する動きが活発ですが、こうした動きも、もしかすると、見えざる「一般意志」に対する「感情の動物」としての反論なのかもしれません。

共感やシンパシーのベースにあるのは、親密でありたいという感情であり、こうした感情に支えられた集団は“親密圏”とも表現されます。もともとこの言葉は、血縁や婚姻に依らない「家族的関係」を示す社会学用語ですが、親密の範囲は当初の社会福祉的な領域にとどまらず、最近ではこうした共通の話題やテーマで繋がった幅広い人間関係まで指し示す用語となっています。

もしかすると、「感情の動物」である人間にとって、「特殊意志」を「一般意志」に昇華させるために必要なのは、“親密圏”単位での発想なのかもしれません。

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